どうして「派遣」議論にはまともなものがないのだろう。2009年01月14日 00:39

輿論を形成すべき社会問題を、
個人的なウサばらしのネタに使わないでいただきたい。



製造業への派遣労働解禁が誤りだったことを認めよ!
(森永卓郎/日経BP)

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/167/index.html


「現在、これほどまでに雇用情勢が悪化した主要な原因は、
 1990年代に雇用政策の基本理念が大転換したことにある。」

雇用政策うんぬん関係なく、世界中で雇用情勢は最悪です。

「主要な要因」は不景気です。



「1990年代以前は、働く人の失業を防ぐための対策として、
 現在よりも対象が広く、期間も長い雇用調整助成金制度があった。
 そうした制度が充実していたために、企業は不況になっても労働者
 をクビにすることなく、雇っておくことができたのである。」

ご参考までに申しますと、一般にこれを「問題の先送り」と言います。

景気循環を前提に、そのうちどうにかなるだろう、という考え方です。

どうにかなることも多いですが、これを繰り返すと企業の成長は

鈍化し、雇用は既得権益化し、結局若い世代は雇用にありつけない、

ということが、まま起こります



「「労働者のクビをどんどん切り、その代わりに再就職を企業が
 支援する」という政策に一変した」


労働者のクビを切るのは経営側にとっても不経済な話です。

しょうがないから切るんです。常に。

「どんどん切る」??意味が解りません。



「失礼ながら、たとえば製造業の派遣労働者がクビを切られて、
 その人たちがIT業界やバイオ関連企業の技術者になれるだろうか。
 まずなれることはない。」

当たり前です。そんな想定は誰もしてません。


「会社をクビになった人が成長分野に移っていくという図式は、
 そもそも存在しなかったのである。」

極端な例から、華麗な論理の飛躍のご披露です。



「私はその点について竹中(平蔵)氏とけんか同然の論争をしたこと
 がある。(中略)「あなたは、日本国民を全員転職させるつもりか!」
 と私はあきれはてた。いくらなんでも、そんなことはありえない。」

”逆ギレ”はよく見かけますが、”逆あきれはて”とは新しいですね。


「今考えれば、とんでもない発想であることがよくわかる。
 だが、当時の日本ではこんな考え方がもてはやされ、
 経済評論家やエコノミストの大半が支持していたのである。」


経済評論家やエコノミストの大半は、とんでもない曲解を
しなかっただけです。


「財界が望んだ解禁の理由は、まぎれもなく次の二つである。
 一つは、賃金の低い労働者が欲しいということ。もう一つは、
 雇用調整がしやすい労働者--つまり、いつでもクビが切れる
 労働力が欲しいということだった。」

「だから、今回のように、いったん不況が訪れたら、彼らが真っ先に
 犠牲になるということは、最初から織り込み済みだったといってよい。」

言葉使いは気になりますが、大筋はその通りです。

なぜならそうでもしてもらわないと日本国内で雇用を維持するのは

難しかったから。

そうでもしなかったらここ数年の拡大局面で企業が作り出した雇用は、

そのほとんどが海外に流出していたでしょう。


「竹中氏のいうように、失業した人たちが成長企業に職を得ることが
 できればいい。だが、現実には何が起こったか。レベルの高い産業
 にいくどころか、ホームレスになっているではないか。」

時間軸の考えを持ちましょう。

「レベルの高い産業」だって、今は不況の真っただ中です。

回復局面でどう動くか、本当に新しい産業にスムーズに

雇用が移行するのかを見て評価すべきです。


「今回の雇用問題についての根本的な解決をするには、まず製造業
 への派遣労働を禁止すべきなのだ。根っこにある「どんどんクビに
 していい」という考え方を転換しなくてはいけない。」

製造業への派遣労働を禁止して、なにが解決するのでしょう?

「どんどんクビにしていい」存在が望まれた根っこには、

「クビにしたくない」もしくは「クビにできない」正社員の存在があります。

派遣だけどうにかして解決するものではありません。



「誰がなんといおうと、雇用問題を解決するには、
 企業に労働者を抱えてもらうしかないのだ。」

当たり前です。企業が労働者を抱えるのが「雇用」ですから。

だからこそ「雇用」を考えるのであれば「企業」を考えなければ

いけない。


たくさん労働者を抱え込める企業もあれば、

そうでないところもあるでしょう。

労働者がより幸せに働ける企業もあれば、

そうでないところもあるでしょう。


そしてその時々で、そこに並ぶ企業の名前は変わってくるとはずです。

そしてその変化は日本国内だけの要因で起こるものでは

決してなくなっています。


これらの視点を欠いている点が、「構造改革」派と議論がかみ合わない

(どちらかというと相手にしてもらえない)理由ではないでしょうか。


それに気付かず、今回のような世論をまきちらそうとするのは、

いかにもヒガミ根性に見えます。

およしになられたほうがいよろしいかと。

コメント

_ だいこん ― 2009年01月14日 12:43

ほとんどコメントねぇのにめげずに書いてるからコメントしてやるか。
まぁ、大筋ではお前に同意だ。ここまで独りよがりの論理を構築するとは、森永はよく今まで生きてこれたものだ。
俺はそもそも派遣問題については、興味がない。あるとすれば、外国人雇用制度、学歴偏重や年功序列を軸とした人事制度全般。切られるべくして切られていった派遣社員をなぜ救わねばならないのか理解が出来ない。
救うべき人間と救わなくともよい人間がいる。

_ 筆者 ― 2009年01月15日 14:11

アクセスはそこそこあるんだぜよ。
読んでくれる人があるなら、それで幸せ。

マスコミ受けすることを吐きますから。
森永先生は常に。

ま、「マスコミ受けする」
=「そういう意見に同調したいマスがある」
てことだからねぇ。
そっちの方がより大きな問題かもね。
懐かしのオクロクラシー。

失業増は、
消費へのマイナスに加えて社会不安も伴うし、
社会の不安定性と経済状況は逆相関だから
ま、切られた理由はどうであっても
失業者を食いブチにたどりつかせるのは、
誰にとってもプラスのはずだよ。

もちろん費用対効果的な限度があるので
そのコンテクストでも最終的には自己責任論に
たどりつくのだけどね。

確かに救いたくない種の人々もいるよなぁ。。

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