日本の「拠って立つ」もの2009年01月30日 01:13

切れのある論ではない。

事実認識にも疑問を感じるし
問題提起で終わっていて、提言も無い。

それでも言わんとしているところには非常に共感する。


『総理大臣候補が思い浮かばない理由』 田原総一朗 (日経BP)
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090129/128343/?P=1

~引用~

「日本人が拠って立つものは何なのか、ということが、今極めて
重大で深刻な問題になっている。そこをしっかりと示す人間がいない
ので、総理大臣になれる人がいない。」

~引用終わり~



「拠って立つもの」の一つのアイデアとして、
武田徹という人がウィリアム・モリスの『ユートピアだより』を引いて
面白いことを書いている。
(日経ビジネス/2008年12月1日号148p「資本主義の行き着く先」)

~引用(一部加筆)~

・報酬はカネでなく創造

『ユートピアだより』で描かれる世界では、人々は「商品」をつくることを
もはや止めている。

モノは自分が愛用するか、愛する隣人に送るために心を込めて
作られる。美しいモノを作ることで人々は満足し、
それ以上を求めない。

「報酬はたっぷりあります。つまり創造という報酬です。」

~引用終わり~


荒唐無稽な原始時代への回帰と思える寓話を、
武田氏は以下のように解釈する。


~引用(一部加筆)~

・作る喜びの重視には欲望の暴走を抑える可能性がある

食欲を持った人間は、あらゆる食材を腹の中に納めたい。
胃袋がいっぱいになったとしても、「量」の消費に飽き足りない欲望は、
「質」の消費に方向を転じ、著名なブランド商品を食べようとしたりする。

こうして「情報価値」の消費に至るようになると、胃袋の有限性も
もはや歯止めにならず欲望は暴走する。

しかし、
創造の要素を消費に取り込むことで、その果てしない消尽の道に
迷い込まずに済むかもしれない。

料理に凝り、食事中の会話を楽しめば、同じ食材の消費から
より多くの楽しみを引き出せる。

こうして「創造を報酬として得る」可能性を盛り込むことで、
果てしない消費へと暴走しようとする欲望を
「減速」させることができる。

~引用終わり~


世界中の人が豊かになりたいと思っている。
「豊かになるのだ」という意志は常に世界中の人の
「拠って立つもの」であったはずし、これからも変わらないだろう。


これからの日本は今までとは違う尺度での「豊かさ」を目指すことに
拠って立ってみてはどうだろう。

これまでの豊かさの尺度は、“どれだけ消費できるか”だった。

これからの豊かさの尺度は、“どれだけ創造できるか”に
おけないだろうか。

そしてその尺度を世界に広められないだろうか。


日本は豊かだ。
物質的の面ではもちろん、「創造」に必要な「想像力」にも秀でている。
そして何より「作る」ことが好きな人種だ。

我々は新しい尺度での豊かさを体現し、世界に訴求しえる
立場にある。


中国やインドが今の日本と同レベルの物質的な豊かさを追求すれば、
地球は人の住めない星になる。

けれども彼らが豊かさを求めることを否定する権利は誰にもない。

だとすれば豊かさの定義を持続可能なものに変えることは
計り知れない価値を生む。

そしてそれは、基本的な生活すら保障されず、
民主主義も環境保護も今だ贅沢品である多くの国々には
到底マネのできない世界への貢献だ。


日本は、
創造の喜びという豊かさを追求することに、「拠って立つ」べきだ。

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