マスメディアは絶滅危惧種か? ~その12010年12月11日 16:14

ある民放キーテレビ局の経営トップのお話を聞く機会がありました。
タイトルは、その方が使っていた言葉から。

内容としては、衰退が先行するアメリカや新聞の事例
・データを絡めつつ、非常に厳しい経営環境の解説と、
これに対応する経営戦略の一端といったところ。


感じたことをつれづれと。


広告業とジャーナリズム

今回は主に経営の話が主だったので、
広告業の一角としてのテレビがその地位を失っていく中で
どう企業収益を確保していくかという点に焦点がありましたが、
個人的にはもう少しマクロな視点で、より大きな問題を感じました。

ビジネスである限り、広告であろうがテレビであろうが
業界全体の興亡があるのは世の常ですし、
極論をすれば、広告業という業態がなくなったって、
それがそこに需要がなくなった結果であれば別に問題はないし、
それはしょうがないことだと思うのです。

「どこでもドア」ができたら輸送業なんてまるごといらないでしょう?
まあ「どこでもドア」は当分できないだろうし、
広告業がなくなることも多分ないでしょうが。。


むしろ問題に感じたのは、広告が今まで非常に儲かる業態であり、
だからこそマスメディアは高楊枝のジャーナリズムにも
飯を喰わせてやっていたものが、
今後マスメディアが儲からなくなってきた場合、
ジャーナリズムは口減らしにあってしまいやしないかという点です。

講演の中で触れられていましたが、
ネットを中心とした”引用メディア”の氾濫で
“速報性”がその商業的価値を失い
ジャーナリズムはますます金を生まなくなっているそうです。
一方でマスメディア各社が”企業”である限り、
収益性向上へのプレッシャーは強まることはあっても
弱まることはないでしょう。
ジャーナリズムの生きる道は、これまた講演で紹介されていましたが、
NPOという方向にしか無いようにも見えます。


一方で、
ジャーナリズム無きマスメディアは、その影響力ゆえ大変危険で
またそのようなマスメディアしか持たない国もまた、危険です。

”明るい北朝鮮”シンガポールには、テレビ局は一つしかありません。
チャンネルは沢山あります。他民族・複数公用語国家なので。
でも元締めはみんな一緒、政府。新聞も大きいのはひとつです。

シンガポールだって、表向きは民主主義国家です。
実際は、この国の全ては統治者の能力と良心に依存しています。
この虚実一体を成立させているのが、
ジャーナリズム無きマスメディアでしょう。

今は権力者が能力も良心も兼ね備えている(少なくともそうに見える)
ので、シンガポールは非常にうまくいっていますが、
もし歯車が逆に回り、危険な方向に進む時は一気に行くでしょう。
ジャーナリズムを持つマスメディアが果たす自浄作用が
期待できないからです。


ではどうすればよいのか。
個人的には、やはりマスメディアに
今後ともジャーナリズムを支えてほしいと思います。

持論ですが、広告業は、構造的に一番儲かる業態です。
人々や企業の”期待”というあいまいなものに課金する上、
広告主から費用対効果が非常に比べにくいからです。

ネット広告は費用対効果に若干の透明性をもたらしますが、
まあ、「ボロ儲け」が「大儲け」になるぐらいのものでしょう。
それに”広告媒体を作ること”と”広告主になること”の敷居を
格段に下げていますから 業界の拡大に寄与しているはずです。

ネットをうまく取り込んだ広告業を展開できたマスメディアは、
絶対に儲かる業態に返り咲けるはずです。

マスメディアの方々には、
一番儲けやすい業界で商売をしている対価として、
是非ジャーナリズムに今後も飯を喰い続けさせてやってほしいです。
儲けの最大化が企業活動の要諦であるとしても、
CSRもまた昨今の世の要請ですので。


長くなったので、投稿を分けます。

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